私の波乱万丈人生(幸せって何?)

子供の頃から父親にDVを受け、終止符は大きな事件でした。 私から見た私の人生について記したブログです。

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父の描く家族像。


帰宅して、またいつものように緊張しながらご飯を食べ、眠りにつきました。
その日、ホテルの件についてなにを思ったか、なにを考え眠りについたか覚えていません、ただ、ぶつぶつとずっと呪いをかけていた記憶があります。

父もまた今までと変わりなく過ごしていました…。
3年間は…。





さて、当時の父や、家族についてですが…

父は、見栄っ張りで、外面がとてもいい人間でした。

見栄っ張りで、外面がいい。
どういう事かというと、外ではニコニコしていましたが、家では、「あの人は僕を尊敬しているんだよ。僕を何かと頼りにしている。可愛い奴なんだ。」
こんな事を家族にはよく言っていました。

実際、家族には父親は偉いと言いたかったんでしょう。

外から見たら、うちの家庭はわりと裕福で、家族は仲がよく、夫婦円満の幸せな家庭に見えていたと思います。

なぜなら、休みは家族でよく出かけていましたから。
その話を近所に父親がするわけです。

実際、休みに家族で出かけていたのは、皆、父の脅迫の元にありました。






私と父のラブホの件を境に、我が家はいろんな事がおき始めました。

まず、日頃から父に言葉の暴力を受けていた祖母が胃潰瘍になりました。

父がいつものように、祖母を怒鳴った時、隣の部屋にいた私は、またやってる…と思っていたのですが、急に、父の「なんだ!やめろ!汚い!」という声が聞こえ、私はすぐ走って祖母の部屋に行きました。

そこには…

口から血を流した祖母がベッドに座っていました…

救急車を呼び、結果は胃潰瘍。

完全にストレスでした。




おばさんも、この事以来、イライラするようになりました。

おばさんにとっては自分の母親でしたから…大きな事だったと思います。

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  1. 2011/10/19(水) 19:35:33|
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家庭崩壊。


父は、私をレイプしようとしたのでしょう。

ホテルのベッドに押し倒された時、
泣きながら「いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
とずっと言い続けていた事を覚えています。



心の中で、お母さん助けて。と言っていました。




結局、泣き止まない私に父はそれ以上無理強いをしませんでした。

恐らく父は、今まで以上に必死で抵抗する私に、口止めをする自信がなかったのではないかと思います。




ホテルの部屋は、古びた感じで、今のように設備が整った部屋ではありませんでした。(当時ではそれが一般的だったんだと思いますが)

今までになく、父は優しくて、それがまた気持ち悪かったです。


無言で部屋を出て、家までも無言でした。

父は
「みんなしてる事なんだから」

と言っていました。




この日を境に、私が何を始めたか、もう分かりますよね?

そう、
父にも呪いを…かけました。

皆さんは、呪いを信じますか?

それとも…信じませんか?


私にとって、呪いは信じる信じないではなく、自分を守る為の呪文、お守りのようなものでした。






では
続きはまた夜にでも。

  1. 2011/10/19(水) 11:35:35|
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高校進学。


高校入学、おばさんと二人で桜の綺麗な校庭に向かった。

入学準備に、通学鞄を買ったり、靴を買ったり、おばさんと二人での買い物は楽しかったです。

おばさんはさばさばした性格で、美人で、ちょっと気の強い人でした。

父に対してビクビクする素振りもなく、私達に不安を感じさせませんでした。

そんなおばさんが母に、「離婚したい。」「母と、祖母、子供達と人生をやり直したい」と漏らしていた事を後に聞いた時は、背中を押してあげればよかったと思いました。
後悔しても、もう絶対無理なのですが…。




高校生活は、中学校生活とは違い、友達もたくさん出来、とても楽しかったです。

家から片道、電車やバスを利用して1時間近く離れた場所だった為、なにかと理由をつけて学校に残り、少しでも家にいる時間を減らしたい一心でした。

そんな状況が半年続くと、父が次男をつかって私を学校まで迎えにこさせるようになりました。

自由がなくなった。

と思いました。

唯一の居場所を奪われ、ついにある日、事が起きたのです。

帰宅し、部屋に入ると早速父が来ました。

「本を買ってやるぞ、早く行こう」

と私に言いました。

嫌だと言うと殴られると思い、なにも言わずついていきました。

車で向かった先は、本屋でもなく、ひたすらなにもない道を走り続け…

「降りなさい」

そう言われ、降りた目の前にあったのはラブホテルでした。

泣きました。

泣いて泣いて、必死に抵抗して、しかし抱えられ無理矢理部屋に入れられたのです。

父は優しくこう言いました

「俺とお前は親子なんだ。だからよくお互いを知らなくちゃいけないんだよ。」

と…
  1. 2011/10/18(火) 13:35:07|
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情緒不安定。


前回の続きの前に、どうしてもずっと誰にも言えなかった事をここで明かそうと思います。

思い出すだけで、涙がポロポロ溢れてきて、ずっと一人で抱えてしまった事を、明かす事で何か少しでも気持ちが落ち着けばと思ったのですが…もし、私のブログを読んで、共感するような方がいらっしゃれば、勇気を出して言葉を発してみてほしいです。






私は…

父から性的虐待も受けていました。






父と母の姉(わかりづらいので今後おばさんとさせてもらいます)の寝室には鍵がついていました。

私は度々、父に無理やり寝室につれていかれ、鍵をかけられ、性的虐待を受けていたのです。

薬をぬらないとダメだ。と言われ、陰部にオロナインをぬられました。(オロナインの香りは今も大嫌いです…)

これは、ずっと続きました。

このような事が頻繁に続くようになった時、私はリストカットをはじめてしまったのです。

最初は本当に死にたいと思っていました。

カッターの刃を、喉に当て、ただひたすら、あと一歩を踏み出せるきっかけを探したりもしました。

この事は、後にさらに大きな事となって、私の決心にきっかけを作ってくれる事になります。

あり得ない話だと思う方もいるでしょう、しかし、私からしたら、平和な家庭が存在する事があり得ないと思っていました。

当時の私は、おばさんにも祖母にも兄にも母にも助けて。と言葉にして言えなかったのです。

せめて、おばさんに話していたら、おばさんも私も、いえ、皆の人生は逆転していたかもしれません。





では、前回の続きです。

長男が、通学路で私を待ち、裏から入ると告げた後、詳しい話も聞かされずに私は裏から家に入りました。

いつもいるはずの父の姿は無く、おばさんもいませんでした。

長男、祖母、私の3人で1週間過ごす事になったのです。



理由は、借金でヤミ金業者に追われたから。でした。

家の前には、柄の悪い男性がうろうろしていたので、私は学校を休んでいました。

何度も鳴る電話。

おばさんから電話があるかもしれなかったので、電話線は抜けませんでした。

電話の相手がヤミ金業者だと、祖母は強く「家にはいません。知りません。」と答え、ガチャ切り。

そんな日が1週間続くと、なにもなかったかのように、父とおばさんが帰宅し、ヤミ金業者の姿もなくなっていました。

どう解決したか、それはおそらく自転車操業だったのだと思います。

そんな状況でも、父のいない1週間は気が楽でした。

子供ながらに、ヤミ金業者は私には関係ない。と変に安心していたせいもあり、父が帰宅した日は、またこれから悪夢が始まる思いで憂鬱な気持ちに陥ってしまいました。

それから、私の高校進学があっさり決まり、それと同時に、日頃母に電話をするなと怒られていた事から、母がこっそり私に携帯電話を買って送ってくれました。

食べ物や、私の服と一緒に紛れ込ませてくれたのです。

携帯電話を内緒で持つ事で、少し気持ちを強く持てた気がしました。

なにかあったら、携帯電話がある。だから、最後は絶対お母さんに助けて。と言おう、と。
  1. 2011/10/17(月) 11:00:36|
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エスカレートする暴力と理由。


中学3年の半ばを過ぎると、父の暴力は私の中で当たり前になっていました。

なぜあの時、母に助けを求めなかったのか…それは私の意地だったのかもしれません。

母には度々電話で近況報告をしていました。

離れて住み、電話だけなら母とはうまくいっていました。

そして、日々暴力のある環境と学校でのいじめも重なり、母への電話は私の唯一の楽しみでもありました。

学校では、学級新聞で、いなくなればいい女ランキングの堂々一位に輝いていました。

子供は残酷です。


毎日、帰宅すると、建築会社の社長であり、暇をもてあました父がだいたい家にいました。

社長ってこんなに暇なのかと思ったほどです。

まず、家に入ると、すぐ部屋に走っていく私に、父が怒鳴りつけます。

だいたい父が暴力をふるうきっかけは、「父親を敬えない子供」ということでした。

最初はごく普通に接していたものの、理解出来ないところでスイッチが入るので、自然と父を避けるようになってしまったのです。

父が町内会の会長になった時、なぜ町内会の集まりで挨拶をしている姿を見にこなかったのか。ということで、家にいた私、長男、母の姉が順番に殴られました。

夜は、何度も私の部屋に来て、勉強をしているかのチェック。
終いには、目の前で勉強しろとリビングにつれていかれ、私の部屋は寝るだけの場所になりました。

リビングに行き、椅子を引いて座る時に、床が傷つくから椅子を引くなと殴られたこともあります。
「やめて!」と言っても、我を忘れたように殴りつづけ、父は「殺してやる」とぶつぶつ繰り返しつぶやいていました。




父がこんなに暴力をふるう原因について、一つ、借金があるからだということがわかりました。

ある日、私が中学卒業間際、学校から帰宅すると家から離れた学校よりの通学路で長男が私を待っていました。

長男は「裏から入るからついておいで。」と私に言ったのです。
  1. 2011/10/16(日) 17:31:56|
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